幸福論

学生です 幸せになる事を大切にして生きています

自分の将来、幸せを自分で背負うという意識が無い人

全く勉強をする気が起きません、将来の事についてなど考えてみてもあまり心が上がってこない、生産性を高める気持ちが上がってこない、この気持ちの根底にあるものを考えてみました

 

結論から言うと私がどこまでも幼く、自分が幸せになる事を自分で追求する気が無いところにあると思われます

 

まず、勉強をする意味ですが職業を得る、職業を得て自立する、他人から与えられなくても生きていける、また他人に与えられるようになるというところにあると考えて自分の幸福のためにする事です

 

人から奪わなくて済むことによって居場所ができる、しかし人間は多少奪わなければ生きていけない生き物、その際に少し居場所を失います

その事を考えている時の自分の思考について考えてみたのですが、

その時私は、人間多少は奪わないといけないなら自立しなくても良くね??それより他人に対して自立しないことが与える悪影響ってなにかがわかれば努力できるかもなとか考えていて、

要するに自分の幸せを自分で背負うつもりがなく他人に責任転嫁しようとしていたのでした

自分の幸福に関して妥協しない人間になるにはどうすれば良いのか

これはもう不幸になってみる、現実を知るしか無いのではないでしょうか、居場所を失って、生きれなくならないとわからない気がします、私は居場所を失った経験はあるので人間関係で自分の能力や知識を高める、与えるのには意識が向くのですが金銭とかを人から与えられること奪われる事、自分の仕事をやってもらう事、他人の仕事をやる事に全然抵抗がありません、その辺をきちんとするためにこの夏は色々と試してみたいです

クルマに自分で乗って移動は自分でできるようになったり、学費ある程度自分で稼いだり、料理自分で作ったり、地図読んで人に頼らず移動できるようにして、自分の生活は自分でするのだという意識を身に付けたいです